釜蓋(かまぶた)の古い集落のはずれにある道しるべである。自然石を台座にした角形の石柱で、正面には「従是(これより)左うみミち右やまえ□」、左側面には「施主(せしゅ)加満(かま)ふた衆」、右側面には「延享(えんきょう)元年子(ね)ノ八月吉日」と刻まれている。延享元年は1744年(江戸時代)である。地元の人によって建てられ大切にされてきた道しるべで、両脇にはいつのころからか2体の仏像が据えられている。本来田中道に面していたと思われるが、現在の位置に移動されている。


道標石位置図
田中道とは
現在の大野城市域を通る、近世の主要道の一つです。その出自には諸説あります。
- 関が原の戦い後、筑後領主として柳川城に入封(にゅうほう)した、田中吉政が入部時に通った道。
- 田中吉政と入魂(じっこん)の福岡藩主黒田長政が、吉政の江戸参勤や下向のために整備した道。
- 田中吉政が領内に新設した道。
田中道のルート

赤色四角の拡大図


