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水城をめぐる1〈水城とは?〉/水城をめぐる2〈土塁〉

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水城をめぐる1〈水城とは?〉

(広報「大野城」 平成25年8月15日号掲載)

「水城」を知っていますか?

大野城市(下大利)と太宰府市の市境に位置する水城は、長さ1.2キロメートル、高さ約7から10メートルにも及ぶ巨大な土塁として残されています。全国的にも大変有名な遺跡で、国の特別史跡にも指定されていますが、土塁の上には木々が茂っており、一見すると自然の小山のように見えます。
しかし、発掘調査の結果、造られた当時の姿は、土塁の博多湾側(大野城市側)に幅60メートルの濠を備え、実戦的で壮大な城壁であったことが明らかになっています。
また『日本書紀』の記録によれば、天智天皇3年(664年)に、「筑紫に大堤を築きて水を貯えしむ。名つけて水城と曰(い)う」と記されています。664年に造られたということで、来年ちょうど1350周年を迎えます。

なぜ造られた?

水城・大野城が造られた背景は、広報「大野城」平成25年7月15日号の特集記事に詳しく掲載されていますが、唐・新羅軍の来襲に備えた国家プロジェクトでした。博多湾から敵軍が上陸、内陸部に侵攻することを想定し、福岡平野が一番狭くなる要所に水城は築かれています。
水城は、大野城とともに、国土防衛の最重要ラインを形成していたのです。
次回から、毎月15日号で水城の見どころなどを紹介していきます。これを機会に現地を巡り、その迫力と1350年の重みを体感してみてはいかがでしょうか。

水城の画像


水城をめぐる2〈土塁〉

(広報「大野城」 平成25年9月15日号掲載)

水城跡は、福岡平野の最も狭い部分に築かれた長さ約1.2キロメートルの大堤です。水城の施設には、土塁・外濠・内濠・木樋(もくひ)などがあり、土塁の東西の門には官道が通過しています。
今回は、主要な施設である土塁についての話です。

土塁の概要

土塁本体は、大きく下成土塁と上成土塁とに分かれます。下成土塁は幅約80メートルで土塁の基底部となり、上成土塁はその上の高さ7から10メートル、幅約25メートルの部分です。
土塁は、砂質土(白色)と粘質土(赤茶色)を交互に薄く積んで硬く突き締めながら造る「版築(はんちく)」工法による積み土で造られています。
また、場所によっては地盤が軟らかい部分に枝葉を敷き並べながら積み土する「敷粗朶(しきそだ)」工法と呼ばれる土木技術もみられます。

土塁の構造

西門付近の下成土塁以外のほとんどの場所は積み土で成形しています。
下成土塁の下層の積み土の中には、敷粗朶を何層も重ね軟弱地盤に対応している様子を見ることができます。上成土塁の壁面の傾斜は下位で70度、上位で60度の急角度です。

高い土木技術

現代の土木技術者の検討の結果、版築工法による積み土の硬度はコンクリート構造物に匹敵するといわれています。
さらに敷粗朶は、現代工法の「補強土構造物」と同じ構造で高い耐震性や安定性を評価されています。
このように、現在の土木技術から見ても極めて高い、最先端の土木技術によって造られた水城は、1350年の時を経た今も古代の防衛施設としての威容をみせています。

土塁の断面写真(上が上成土塁、下が下成土塁)
土塁の断面写真(九州歴史資料館提供)

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