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大野城をあるく(観世音寺口城門)

最終更新日:
(ID:6709)

(広報「大野城」 平成23年10月15日号掲載)

大野城跡ではこれまでに9カ所で城門が発見されています。今回は「観世音寺口城門」を紹介します。
実はこの城門、近年までその存在は知られていませんでした。平成15年7月の集中豪雨で、大野城跡は大きな被害を受け、この被災状況を確認するための発掘調査により、観世音寺口城門は発見されました。

城門の位置

観世音寺口城門は南側の外周土塁線上にあり、大野城跡では最も南に位置する城門です。土塁線を北東へ200メートル進んだ場所に太宰府口城門、城内(北側)へ150メートル進むと増長天(ぞうちょうてん)礎石群や鏡池、また300メートルほど城外(南側)には、中世山城の岩屋城本丸跡があります。この付近一帯は、通称「馬責(うまぜめ)」と呼ばれる東西に細長い平坦地が広がっており、戦国時代には馬を訓練する場所であったといわれています。

城門の構造

発掘調査によって、高さ5から6メートルの土塁を積み上げた後、それを切り通して城門を造ったことや、新旧二時期の門があったことなどが分かり、このうち新しい時期の門は、長さ10メートル以上・幅約4.3メートルの規模であることが確認されました。また、壁面には石垣が築かれ、床面は全体に石敷きし、10段ほどの石階段を設けています。全面を石で構築した城門は、大野城跡では初めての発見です。

観世音口城門の様子
観世音寺口城門

城門に続く道

江戸時代の終わりごろに描かれた「太宰府旧蹟全図(だざいふきゅうせきぜんず)」には、観世音寺口城門付近から観世音寺へ下る道が記されており、城外への道の可能性があります。
また、城内側へのルートとしては近くに増長天礎石群があり、これに通じていたのでしょう。

幻の「遠賀門(おかもん)」

当時の城門の名前はほとんど分かっていませんが、唯一「観世音寺資材帳」が当時の名前の一つを伝えています。
観世音寺所有の山として「大野城山」があり、その北限を大野城南辺にある「遠賀門」の下道と記しています。観世音寺口城門が大野城跡の最南端に位置することや、観世音寺のほぼ真北にあることから、「遠賀門」とは観世音寺口城門である可能性があり、大変注目されています。

注:大野城跡へのアクセス方法は関連リンクを参照してください。

 

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