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大野城をあるく(毘沙門堂)

最終更新日:
(ID:6718)

(広報「大野城」 平成24年7月15日号掲載)

四王寺山(しおうじやま)という名の由来

前回紹介した八ツ 波(やつなみ)礎石群を抜け、ややきつい山道を上がっていくと、お堂がある開けた場所に出ます。このお堂、毘沙門堂と四王寺山という名の関連について紹介します。
唐(とう)と新羅(しらぎ)による攻撃に備えて造られた大野城ですが、実戦には使われませんでした。その後、日本と新羅は友好関係を保った時期もありましたが、奈良時代に入ってからは対立が目立つようになり、再び緊張が高まります。そのような中、新羅が呪詛(じゅそ)(恨みに思う相手に災いが起こるよう神仏に祈願すること。当時、敵に対する有効な攻撃手段と考えられていた)を行っているとの情報を得た日本は、これに対抗するため、宝亀五(七七四)年、持国天(じこくてん)・増長天(ぞうちょうてん)・広目天(こうもくてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)の四天王(してんのう)を祭った四王寺を建立しました。現在、毘沙門堂が建っている場所の周辺がこの四王寺建立地とされており、四王寺山の名はこのことに由来しています。

毘沙門堂を訪れましたときの様子
史跡めぐり「大野城をあるく」で毘沙門堂を訪れました

毘沙門堂

毘沙門参り

普段は静かな毘沙門堂ですが、毘沙門参りが行われる正月3日には大勢の参詣者でにぎわいます。この日、参詣者はお堂の前に置かれたさい銭を借りて帰り、翌年に倍額にして返します。こうすることで、その一年は小遣い銭に不自由しないと言われています。

注:大野城跡へのアクセス方法は関連リンクを参照してください。

 

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