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石勺遺跡(曙町)
石勺(こくじゃく)遺跡は大野城市役所周辺(曙町)に広がる遺跡です。この付近の土地区画整理事業に先立って行った試掘調査で見つかりました。1988(昭和63)年から1997(平成9)年まで10回の発掘調査を行い、縄文時代早期・晩期、弥生時代中期・後期、古墳時代中期、中世、近世の遺跡や遺物が見つかっています。今のところ弥生時代中期(約2100年前頃)の遺構や遺物が最も多く見つかっています。
調査した場所は順にA~J地点としていますが、G地点は「まどかぴあ」建設前に調査した場所で、ここからは主に弥生時代中期の竪穴住居跡、貯蔵穴、大溝などが見つかっており、集落の跡であることが分かっています(写真1)。

写真1.竪穴住居跡
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見つかった竪穴住居跡は長方形の形をしたものです。床から甕(かめ)の破片と、ほとんど壊れていない小さな壺が見つかりました。また、調査した場所の中央部ではほぼ南北方向に伸びる大きな水路跡(大溝)が見つかっています(写真2)。大溝は60m分まで確認できましたが端部は確認されておらず、全長がどれほどあったのかは分かっていません。
断面は台形をさかさまにしたような形で、大きさは上側の幅が約2.2m、底の幅が0.6m、深さ約0.85mありました。床の標高は北のほうが高くなっており、水は北から南へ流れていたと考えられます。

図2.発見された水路跡(大溝)
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この大溝からは写真2に示すように大変多くの弥生土器が見つかっており、食料などを貯蔵したと考えられる壺や鉢、煮炊きに使ったと思われる甕、供物を供えたと思われる高坏(たかつき)、壺の台と考えられる器台(きだい)など、収蔵コンテナ(縦横:約60cm×約40cm程度)で約25箱分の弥生土器が発見されています。

写真2.土器出土状態
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